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「藝」「際」「間」を究める~JARFO三十年の歩み~
¥1,980
「藝(げい)」「際(きわ)」「間(あわい)」を究める ~JARFO三十年の歩み~ 石田 淨(いしだ じょう) 著 2024年6月20日 初版第1刷発行 1,800円+税 ISBN978-4-909819-17-8 C0095 ※※発送手数料にかんして※※ 本書は2冊までならスマートレターでお送りできます。 また、4冊までならクリックポストでお送りできます。 本書のみお送りする場合です。ほかの書籍との組み合わせの場合はこの限りではありません。 * 《「鑑賞」が孕む真実とは何か。》 《鑑賞者の精神状態は、アーチストの人生経験が凝縮された作品を通して表出される「気」の影響を受ける。》(本文より) 政治活動にのめりこみ、歴史研究に没頭した男の人生は とある企業メセナを担って以来 「運動としてのアート」へと大きく舵を切る。 芸術とは、作品とは何か。 創る者と観る者とのあいだには何が起こるのか。 今なお問い続ける石田淨、82歳にして初の単著。 (以上、帯の言葉) 【JARFOとは】Japan Art Forumの略称。「ジャルフォ」と呼称する。正式名称は「NPO法人京都藝際交流協会JARFO」。京都市内に2か所のギャラリースペースをもち、芸術家の活動や発表の支援を行っている。 * 目次 はじめに 第一章 私とは何者か 一 出生 二 十代~三十代 政治運動に憧れる 学生運動に没頭 大学院へ進み、幸徳秋水と社会主義を研究 ロシアへの関心 三 教職に就き、大いに学ぶ アルバイトに明け暮れた学生時代 教育現場での五十年間 徹底した個の尊重に瞠目 バブル経済とメセナ 第二章 人生を変えた「メセナ」 メセナとは 一 徳島ハレルヤ製菓株式会社 創業者 岡 武男 全国に先駆けた文化芸術振興推進企業 二 任意団体JARFO結成 バブル経済の崩壊 フィリップス大学日本校 三 NPO法人 京都藝際交流協会JARFOの設立 任意団体からNPO法人へ 第三章 「藝(げい)」「際(きわ)」「間(あわい)」を究める 評価の基準とは 一 日本における作品の「鑑賞」と「評価」 美術教育の在りかたに疑問符 二 「藝際」に込めたもの 「藝」と「芸」 「際」 三 「間」とは 「あわい」は「あいだ」でも「ま」でも「かん」でもない 「気」とは何か あるのか、ないのか JARFO三十年の歩み 【特別収録】 企業メセナの一形態 ――アートフォーラム三年間の歩み―― おわりに 参考文献 石田 淨 著作一覧 石田 淨 略歴 著者近影 * 石田淨さんとのご縁は、エディション・エフ刊写真集『揺れて歩く』がきっかけでした。 『揺れて歩く』は、著述家の清水哲男さんによる初の写真集。出版記念の最初の写真展(2020年9月レティシア書房)を開催した時に展示を見てくださった石田淨さんは、『揺れて歩く』をはじめ清水哲男さんの著作を高く評価されたのでした。それでギャラリー「JARFO京文博」(石田さんが代表を務めるNPO法人京都藝際交流協会が運営)での写真展開催を申し出てくださったのだそうです。 2021年4月に行われたその写真展は好評を博し、会場では『揺れて歩く』もたくさん売れました。 石田さんは『揺れて歩く』の編集手法や装幀デザインをたいへん褒めてくださいました。出版社としてこんなに嬉しいことはない、と感激したものでした。 JARFO京文博では従来から個性豊かな作家による個展、グループ展がコンスタントに開催されており、清水哲男さんの写真展もテーマを変えて何度も行われました。たびたび鑑賞しにうかがっていましたが、ある日石田淨さんが在廊されていた折にあらためてご挨拶したところ、著書執筆の企画をお聞きしたのでした。 2023年の秋のことでした。 * 「僕はもうトシですからね、時間がないんです。だから早くつくらないと」 二言めにはそうおっしゃる石田淨さん。 制作に着手してから完成までの間に、いったい何度海外出張に出かけられたでしょうか。とってもお元気です。 ほんとにお元気です。 * 石田淨自身の人生と、JARFO結成以来の30年を駆け足でたどる本書。 石田淨ならではの芸術へのアプローチ、鑑賞の解釈に触れてください。 あなたが次回展覧会へ行った際には、作品の見かたが、少し変わるかもしれません。 【著者】 石田 淨(いしだ・じょう) 1942年京都府舞鶴市生まれ。1973年立命館大学大学院文学研究科修士課程修了(西洋史専攻)。在学中より歴史教師として教鞭をとある。1993~96年、徳島県阿波之里アートフォーラム代表に就き企業メセナ活動に従事。1997年Japan Art Forum(JARFO)結成、代表に就任。
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気配
¥1,760
『気配』 村田はるせ 1,600円+税 2024年5月発行 ISBN978-4-909819-16-1 ※※発送手数料にかんして※※ 本書1~6冊の場合はクリックポストが最も安価です。ご注文の際はクリックポストを選択してください。 なお、本書のみお送りする場合です。ほかの書籍との組み合わせの場合はこの限りではありません。 * 《あの公園のあの木で 啼きしだいていた蝉たちを想う あれだけの密度の時雨にまた打たれたい》 (「蝉時雨」より) 「蝉時雨」と題された短い詩の一部分を、帯に使わせてもらいました。 蝉の啼く季節も、もうすぐですね。 村田はるせさんの詩は、強い言葉や表現はなく、かといって、それではその言葉の連なりを「柔らかい」とか「優しい」とか、そういうふうに形容するのもためらわれます。 シンプルな言葉遣いの中に、自己を見失わない確かな意志と、まっすぐな視線を感じます。 とはいえ、詩の味わいかたは人それぞれ、気持ちそれぞれです。 あなたはどのように読み、感じてくださるでしょうか。 《きっと薄墨色の 濃淡がことなるやわらかな紙を用意して ゆったりとした波形に切りとったのだろう それを少しずつずらして重ねたのだろう 咲きかけのばらの花びらが ちょうどそうであるように》 (「空の仕業」より) 《自信にみちた声が理路整然と迫ってきて わたしのほうが悪いような気がしても 透明の盾を構えてむかっていく稽古》 (「稽古」より) 《わたしは言葉を探すことで、日々遭遇するままならない事態との折り合いをつけようとしていたのです。》《わたしの中の不甲斐なさ、無力さといったものに言葉を与えたかったのでしょう。それは、もっと強く飄々と生きたいという望みの裏返しなのでしょう。》《単純ではない世の中を単純なものとして生きざるをえない不特定多数の人びとに紛れるわたしの内側にちらちらと燃えてくる怒りもまぶされています。》 (「あとがき」より) 詩集『気配』をお読みくださるみなさんの心に、なにがしかの糧が、足跡を残すと願います。 *********** 目次 〈鏡のなか〉 鏡 忘れたいこと 晴れた日には忘れほうけたままでいることども 雪の日 いるということ し 泣くな 稽古 魚が泳ぐように にげる あのですね ノッポとちび 〈まのわるい人たち〉 まのわるい人たち 小犬をつれた 車窓 北陸新幹線 選択 敵だらけ 〈わたしの外の声〉 みはる いつかの記憶 蝉の弔い 投書 夜の家いえ 詩をする わたしの外の声 冬寺 蝉時雨 狭間のとき 狭間の景色 鴉は映画を観ない 鳩と卵焼き 空の仕業 気配 白岩源流にて 〈うまれたのでも ない まち〉 思郷の 花がさく ―ビルマの首都にて― 単線電車の無人駅音頭 駅長 幻の打ち明け話 あとがき ************ 本書は、詩人の意図を酌み、ごく少部数を制作しました。 版元としましては、部数が少ないことで否が応でも高くなる原価を少しでも抑えるためにあれこれと工夫をしました。 そのひとつが、帯の上端の曲線の表現に、一点一点、手で紙をちぎるという方法を用いたことです。こうした曲線のカットを機械で行うことは不可能ではありませんが、型代がたいへん高くつきます(何万部も印刷するならコストは吸収されますけどね)。 この帯デザインをいたく気に入った版元に対し、「僕が手でちぎります」とデザイナー氏の提案。その言葉に思いきり甘えました。 微妙に、一冊一冊が異なる曲線。ホントに微妙な違いです。見比べて可笑しがるのは版元の特権です。すみません。 村田はるせ 富山県の「舟の会」同人。アフリカ文学(フランス語表現)専攻。アフリカについて学ぶ「クスクス読書会」を2012年から主宰。西アフリカのフランス語公用語圏諸国で出版された絵本を展示や朗読をとおして紹介する活動もしている。訳書に『アヤンダ おおきくなりたくなかった おんなのこ』(ヴェロニク・タジョ文・ベルトラン・デュボワ絵/風濤社/2018年)。『神(イマーナ)の影 ルワンダへの旅―記憶・証言・物語』(ヴェロニク・タジョ著/エディション・エフ/2019年)がある。
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【サイン入り】ルルオンザルーフ
¥1,760
【数量限定★著者直筆サイン入り】 『ルルオンザルーフ』 よしだるみ 著 1,600円+税 B6判変型(171×120mm) 並製 224ページ ISBN978-4-909819-13-0 ★★★著者の直筆イラスト・サイン入りです★★★ ★★★数量限定! お早めに★★★ 《夜空はうんと広くて、硝子のかけらをばらまいたような細かな星々がいっぱいに散らばっていました。星がろうそくの炎のようにチラチラ揺れるのが、不思議でした。 「月が眩しいね」 物語で動物が集会を開いたりするのはきっとこんな夜だわ、と思いました。 ふたりで首が痛くなるほど見上げていました。鈴虫がリーリー鳴いていました。》 (「冬が来てしまった」より) * 絵本作家よしだるみ、初のエッセイ集! どうぶつのかぞく絵本シリーズ『いつかはぼくも』『わたしはいつも』『いつもとなりで』(国土社)、月刊絵本かがくのとも『あめあがりのしゃぼんだま』(福音館書店)など、色鉛筆やクレヨンを駆使した優しい画風で人気上昇中のよしだるみ。 創作絵本や挿画の仕事を多数こなす一方、中国武術講師の顔ももつ。 《ずっとどこか、急いでいました。一回りちょっと年上の主人に、少しでも追いつきたくて。》(「あとがき」より) * 上にあるように本書、エッセイ集『ルルオンザルーフ』の著者よしだるみさんは絵本作家として活躍中です。主に色鉛筆やクレヨンを使った優しい画風が特徴。「どうぶつかぞく絵本シリーズ」をご存じの読者にはおなじみですね。普段からしょっちゅう、動物園にスケッチに行かれているそうです。 クレヨンで描いた風景画や肖像画は時に写真を超えてリアルです。よしだるみさんの個展や原画展はけっして逃さずぜひ!観に行ってください! * 巻末には気鋭の映画監督・藤井道人(『新聞記者』『余命10年』)による解説「姉・よしだるみのこと」を収録。 《姉と僕は三つ離れている。僕は父に倣って剣道に打ち込み、姉は絵画と武術に精を出していた。姉は自分に厳しく人にも厳しいというタイプで、仲は良かったけれど子どもの頃は喧嘩もよくした(僕は典型的な人に甘く自分にも甘いタイプだった)。》 《姉は、ピアノも上手だった。幼少期、まだ僕に芸術の才があると誤解していた両親は僕にヴァイオリンを習わせた。親戚を集めてデュエットのようなものを強いられたこともある。心底嫌だった。自分の奏でるおぞましい「ギコギコ」という音色に我ながら辟易していた。》 《人生に優劣などないと思ってはいるが、このようにいくつか述べるだけでも僕と姉には雲泥の差があり、そして僕はわかりやすくどんどんグレていき、姉との交流も少なくなっていった。》(藤井道人「姉・よしだるみのこと」より) 藤井道人プロフィール: 1986年東京都生まれ。 映画監督、脚本家、映像作家。日本大学芸術学部映画学科卒業。大学卒業後、2010年に映像集団「BABEL LABEL」を設立。伊坂幸太郎原作「オー!ファーザー」でデビュー。 2019年に公開された映画「新聞記者」は、日本アカデミー賞最優秀賞三部門含む六部門受賞をはじめ、映画賞を多数受賞。ほか、映画「宇宙で一番あかるい屋根」「余命10年」、ドラマ「アバランチ」などを手がける。 * 絵本作家よしだるみさんと映画監督藤井道人さんは実の姉弟。藤井さんは、巻末への寄稿についてたいへん快く承諾してくださいました。ちょっぴりユーモアをにじませたエッセイは、よしだるみさんの幼少期や結婚したばかりの頃などが窺える内容となっています。 * もくじ 1 今日は、マグカップで飲むんだよ ミニチュア太陽とお月さま おしりがつめたい。 あるものとないもの 手当て 移住記念日 本 炭酸ジュース 晴れのち頭痛……そして日常 スプーン 広告チラシ トレンディードラマ いつものリズム 夢のようなカレー 冬が来てしまった 高い所 2 きれいだね ふたり クリスマスのはなし 小鳥 一番欲しいもの 久しぶりの散歩 マジック おそなえ 一日の過ごしかた 私のなかの小さな森 簡素なしくみ ぐにゃぐにゃ 雪やどり カード 甘いジンジャーシロップ 3 また四時だって思うんだよ 優しいストロベリーアイスクリーム 雪 恐竜のタマゴの町で なんということでしょう! 六月の雪 ネズミ 星の輪郭 夢のような桜散歩 春の色 虹 エアトランプ 立ちつくすロバ 最後のいちご ルル オン ザ ルーフ 色鉛筆削り あとがき 姉・よしだるみのこと 藤井道人 * 装丁およびカバー写真:堀内仁美(Horiuchi Design) * 著者プロフィール よしだるみ(吉田瑠美) 1983年東京都生まれ。 絵本作家、画家、中国武術講師。青山学院女子短期大学芸術学科卒業。幼少期を米国・ニューヨークで過ごす。1994年に中国武術に出会い、吉田博に師事する。 2012年京都に移住したのを機に絵を描き始める。絵本の仕事に、『はじめてのほんやさん』(垣内出版)、『いつかはぼくも』をはじめとする『よしだるみのどうぶつのかぞく絵本シリーズ』(全三巻/国土社)、『あめあがりのしゃぼんだま』(福音館書店)などがある。
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ルルオンザルーフ
¥1,760
『ルルオンザルーフ』 よしだるみ 著 1,600円+税 B6判変型(171×120mm) 並製 224ページ ISBN978-4-909819-13-0 ★★『ルルオンザルーフ』お買い上げのお客さまへ★★ ★★よしだるみクレヨン画ポストカードをプレゼント★★ ★★★当ショップだけの特典です★★★ 《夜空はうんと広くて、硝子のかけらをばらまいたような細かな星々がいっぱいに散らばっていました。星がろうそくの炎のようにチラチラ揺れるのが、不思議でした。 「月が眩しいね」 物語で動物が集会を開いたりするのはきっとこんな夜だわ、と思いました。 ふたりで首が痛くなるほど見上げていました。鈴虫がリーリー鳴いていました。》 (「冬が来てしまった」より) * 絵本作家よしだるみ、初のエッセイ集! どうぶつのかぞく絵本シリーズ『いつかはぼくも』『わたしはいつも』『いつもとなりで』(国土社)、月刊絵本かがくのとも『あめあがりのしゃぼんだま』(福音館書店)など、色鉛筆やクレヨンを駆使した優しい画風で人気上昇中のよしだるみ。 創作絵本や挿画の仕事を多数こなす一方、中国武術講師の顔ももつ。 《ずっとどこか、急いでいました。一回りちょっと年上の主人に、少しでも追いつきたくて。》(「あとがき」より) * 上にあるように本書、エッセイ集『ルルオンザルーフ』の著者よしだるみさんは絵本作家として活躍中です。主に色鉛筆やクレヨンを使った優しい画風が特徴。「どうぶつかぞく絵本シリーズ」をご存じの読者にはおなじみですね。普段からしょっちゅう、動物園にスケッチに行かれているそうです。 クレヨンで描いた風景画や肖像画は時に写真を超えてリアルです。よしだるみさんの個展や原画展はけっして逃さずぜひ!観に行ってください! * 巻末には気鋭の映画監督・藤井道人(『新聞記者』『余命10年』)による解説「姉・よしだるみのこと」を収録。 《姉と僕は三つ離れている。僕は父に倣って剣道に打ち込み、姉は絵画と武術に精を出していた。姉は自分に厳しく人にも厳しいというタイプで、仲は良かったけれど子どもの頃は喧嘩もよくした(僕は典型的な人に甘く自分にも甘いタイプだった)。》 《姉は、ピアノも上手だった。幼少期、まだ僕に芸術の才があると誤解していた両親は僕にヴァイオリンを習わせた。親戚を集めてデュエットのようなものを強いられたこともある。心底嫌だった。自分の奏でるおぞましい「ギコギコ」という音色に我ながら辟易していた。》 《人生に優劣などないと思ってはいるが、このようにいくつか述べるだけでも僕と姉には雲泥の差があり、そして僕はわかりやすくどんどんグレていき、姉との交流も少なくなっていった。》(藤井道人「姉・よしだるみのこと」より) 藤井道人プロフィール: 1986年東京都生まれ。 映画監督、脚本家、映像作家。日本大学芸術学部映画学科卒業。大学卒業後、2010年に映像集団「BABEL LABEL」を設立。伊坂幸太郎原作「オー!ファーザー」でデビュー。 2019年に公開された映画「新聞記者」は、日本アカデミー賞最優秀賞三部門含む六部門受賞をはじめ、映画賞を多数受賞。ほか、映画「宇宙で一番あかるい屋根」「余命10年」、ドラマ「アバランチ」などを手がける。 * 絵本作家よしだるみさんと映画監督藤井道人さんは実の姉弟。藤井さんは、巻末への寄稿についてたいへん快く承諾してくださいました。ちょっぴりユーモアをにじませたエッセイは、よしだるみさんの幼少期や結婚したばかりの頃などが窺える内容となっています。 * もくじ 1 今日は、マグカップで飲むんだよ ミニチュア太陽とお月さま おしりがつめたい。 あるものとないもの 手当て 移住記念日 本 炭酸ジュース 晴れのち頭痛……そして日常 スプーン 広告チラシ トレンディードラマ いつものリズム 夢のようなカレー 冬が来てしまった 高い所 2 きれいだね ふたり クリスマスのはなし 小鳥 一番欲しいもの 久しぶりの散歩 マジック おそなえ 一日の過ごしかた 私のなかの小さな森 簡素なしくみ ぐにゃぐにゃ 雪やどり カード 甘いジンジャーシロップ 3 また四時だって思うんだよ 優しいストロベリーアイスクリーム 雪 恐竜のタマゴの町で なんということでしょう! 六月の雪 ネズミ 星の輪郭 夢のような桜散歩 春の色 虹 エアトランプ 立ちつくすロバ 最後のいちご ルル オン ザ ルーフ 色鉛筆削り あとがき 姉・よしだるみのこと 藤井道人 * 装丁およびカバー写真:堀内仁美(Horiuchi Design) * 著者プロフィール よしだるみ(吉田瑠美) 1983年東京都生まれ。 絵本作家、画家、中国武術講師。青山学院女子短期大学芸術学科卒業。幼少期を米国・ニューヨークで過ごす。1994年に中国武術に出会い、吉田博に師事する。 2012年京都に移住したのを機に絵を描き始める。絵本の仕事に、『はじめてのほんやさん』(垣内出版)、『いつかはぼくも』をはじめとする『よしだるみのどうぶつのかぞく絵本シリーズ』(全三巻/国土社)、『あめあがりのしゃぼんだま』(福音館書店)などがある。
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ぬばたま
¥1,980
『ぬばたま』(歌集) 北夙川不可止 著 1,800円+税 A5判変形 並製 256ページ ISBN978-4-909819-09-3 《射干玉(ぬばたま)の黒き仔猫を「ぬばたま」と名づけて飼ひぬ七月のすゑ》 北夙川不可止(きたしゅくがわ・ふかし)は歌人でコラムニスト。 『ぬばたま』は作歌生活25年にして初めて上梓する歌集である。 作歌は膨大だが、2010~2018年に詠んだ歌のなかから 772首を厳選した。 著者の活動は幅広く、アートイベントの企画運営、また近代建築・景観の保全活動にも取り組んでおり、本書の収録短歌からは、その多岐にわたる活動が窺い知れる。 「ぬばたま」は、歌人がかつて飼っていた猫の名前である。 「猫と美少年をこよなく愛し、近代建築と美術と音楽を愛で、美しき建物が壊される不条理に怒り(中略)、吟行をする日々が 絵巻物のように繰り広げられる」 (寮美千子によるあとがき「永遠の幼子、伯爵」より) * 歌人・北夙川不可止の第一歌集、『ぬばたま』。帯の言葉には、歌人をよく知る作家・詩人の寮美千子さんが本書へ寄せた原稿からの一節を引いています。 歌人は猫との暮らしを詠み、少年との愛の戯れを詠み、文化的遺構の美しさを詠みます。 血糖値が跳ね上がり入院生活を余儀なくされた日々の歌などは、退屈を逆手にとって愉しもうとする歌人の心情がにじみ、とてもユーモラスです。 今も愛する猫たちと暮らす歌人ですが、「ぬばたま」は忘れ難き美しい猫だったと述懐しています。 * 東京のピカレスクギャラリーでは、 2020年6月13日(土)〜8月2日(日)のあいだ、 短歌と写真のコラボレーション展「叛亂の豫感(はんらんのよかん)」 が オンラインにて開催されました。北夙川氏の短歌と写真家・北沢美樹氏の美しい写真のコンビネーション。展覧会を記念した作品集「叛亂の豫感」がギャラリーの通販サイトで販売されています。そちらもぜひどうぞ! リンクをクリックすれば別ウインドウで開きます。⇩ https://picaresquejpn.com/work/hanran-no-yokan/ * 【著者】 北夙川不可止(きたしゅくがわ ふかし) 1964年兵庫県西宮市生まれ。同志社大学神学部中退。1994年に獄中で短歌を始め、所属結社は『アララギ』、『新アララギ』、『玲瓏』と移籍。近代建築や歴史的都市景観の保全に取り組み、著書に『東西名品 昭和モダン建築案内・新装版』(書肆侃侃房、2021年秋刊行)などがある。オープンリーゲイとしてBL短歌同人誌「共有結晶」創刊に参加。活動分野は多岐にわたり、各所で「伯爵」と呼ばれ親しまれている。
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月の家の人びと
¥1,870
『月の家の人びと』 砂岸あろ 著 1,700円+税 B6判変型(171×120mm) 並製 288ページ ISBN978-4-909819-10-9 《杏は鏡を持った手をのばし、いったん上に高くかかげてから、軽く深呼吸して中をのぞきこみました。 さっきよりも輝きを増したまるい月が、鏡の上のほうにうつっています。 その前に、瞳をきらきらと光らせ、かたくくちびるを結んでいる、一人の女性がうつっていました。》(第四章 月の鏡 より) * 物語を紡ぐ人、砂岸あろ――。 美しいもの、純粋な心、ちょっぴり不思議なできごと……。人が見失いがちなものたちにこだわりつづけ、物語を創りつづけてきた著者が、祖母と過ごした「月の家」の思い出を温めながら書き、時を経て幾重のてがかりをも加味して書き上げた長編。 《その家は、(中略)志賀直哉が住み、『山科の記憶』などを書いた家です。それから数年後、私の父方の祖父母一家がその家に移り住みました。》(著者による「あとがき」より) * 京都在住の漫画家、グレゴリ青山さんから帯に推薦文をいただきました! 物語を読んでいる間、ずっと 月の光に包まれている心地がしました。 美しい京都山科文学の誕生です。 ――――――― グレゴリ青山 グレゴリ青山さん:漫画家。京都在住。著作に『グレさんぽ~猫とかキモノとか京都とか~』(フラワーコミックススペシャル2020年)『京都深掘りさんぽ』(小学館文庫2017年)など多数。 * 目次 第一章 赤い傘 第二章 夜の犬 第三章 水の皮膚 第四章 月の鏡 第五章 風の靴 第六章 鬼の木 第七章 空の椅子 第八章 眠る絵 終 章 月のいる庭 * 著者プロフィール 砂岸(すなぎし)あろ 京都市生まれ、京都市在住。京都精華短期大学(当時)で美術を学び、1986年よりアトリエ・ウーフ絵画教室を主宰しながら、少女マンガ原作、児童文学、エッセイなどを書く。「海の方法」同人。著書に『駱駝はまだ眠っている』(かもがわ出版、2005年)、『ほおずきの夜』(白馬社、2007年)、『黄金色の風になって』(上下、講談社青い鳥文庫、2009年)、『せんをひく』(福音館書店こどものとも、2010年)などがある。
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装いせんとや 生まれけん 着物の戯れ じぶん流
¥1,980
『装いせんとや 生まれけん 着物の戯れ じぶん流』 蓮味 青(はすみ あおい)著 1,800円+税 A5判 並製 152ページ ISBN978-4-909819-12-3 《着物は過去の遺物では、ありません。もっと楽しくなるはずです。 この本が、貴方なりの着物のお洒落を見つける手助けになればとても嬉しく思います。》(「はじめに」より) * ちょっと知的で、洒落っ気とユーモアもたっぷり。 時にはもったいない精神と工夫で着こなす、和装のエスプリ満載。 そのまま真似てみたくなる着物との戯れ術。 《着物が日常着ではなくなった現代において敢えて着物を着ることは、普段と違う「装い」をすることでもあるのです。それはまた、生活を「遊び」「戯れる」ことにも繋がっていきます。 戦争や飢餓を知らずに育った幸運な世代の私達も、いま現在、数年前には想像もしなかった困難な状況の中で暮らしています。 そんな中でも着物で遊び、着物と戯れることでいにしえから綿々と伝えられてきた美しいものたちを思い出し、慈しみながら日々を過ごすことが出来ますように、と願いを込め ました。》(「あとがき」より) 「着物の戯れ」の達人が見せる「遊びかた」。和装コーディネートのヒントが満載! * 目次 第一章 能を着こなす 第二章 季節を着こなす 第三章 私のお気に入り あれこれ * 著者プロフィール 蓮味 青 (はすみ あおい) 着物と古典芸能をこよなく愛し、古裂、古民芸、骨董家具、古い器などを日常に生かす生活を模索しつつ、観世流謡曲仕舞、森田流能管、金春流太鼓、石井流大鼓の稽古をマイペースで続けている。週末のみ着物生活。京都市在住。
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京都ほんやら洞の猫
¥1,650
著者 甲斐扶佐義 A5判 144ページ 定価:本体1,500円+税 ISBN 978-4-909819-04-8 2019年3月15日初版第一刷発行 ここには郷愁以上のものがある 京都のカウンターカルチャーの拠点《ほんやら洞》全焼から4年。 ほんやら洞の店主で、美女や京都の市井の人々の撮影にかけては定評のある写真家が、焼け残されたプリントとネガの山から救出した猫写真の数々をまとめた。 (カバー裏表紙より) * 『京都ほんやら洞の猫』は、京都が誇る市井の写真家・甲斐扶佐義さんの猫写真集です。 エディション・エフから本書を世に出せることに、大きな喜びを感じています。甲斐さんの被写体となった猫たち、子どもたち、京都の人々、そして風景。制作中、幾度となく写真の数々とにらめっこしては、感慨にふけりました。 「ほんやら洞」は甲斐さんがシンガーソングライター岡林信康さんらとともにオープンした喫茶店。学生はもちろん内外の芸術家や知識人が出入りし、二階では読書会など文化的な催しが開かれ、さまざまな活動の拠点にもなっていました。猫が住みつくようになってからは子どもたちも集まり、甲斐さんは、そんなほんやら洞の日常を撮り続けてきたのでした。 ところが、ほんやら洞は不幸にも4年前、火事で焼失。店に保管してあった膨大な数のネガやプリント、そればかりか準備中の著書の草稿までもが失われました。いったいどれほどの失意が甲斐さんを襲ったでしょうか。想像するのは容易ではありません。 でも甲斐さんはけっしてへこたれず、焼け跡から写真を救出し続けました。諦めず、根気よく、救出し続けたのです。 今回、整理したなかから猫の写真を集めて編集し、エディション・エフから刊行する写真集としてまとめてくださいました。 装幀はLily Design & Photoの浜田佐智子さん。浜田さんはブックデザイナーであると同時に、写真家・甲斐さんの有能なアシスタントであり、自身も写真家として写真集を刊行しています。 * ここで取り上げた写真は大別すると、ひとつは70年代の数年間のほんやら洞とその周辺の写真であり、もうひとつは90年代に子どもとともに出会った街猫の写真だ。 前者では、猫と猫好きの仲間や客とのやり取りのシーンを撮ったものが多い。後者は、90年代から2000年にかけてはからずも始まった「美女との猫さがし」で撮った猫が中心だ。 (あとがきより) 【著者プロフィール】 甲斐扶佐義(かい・ふさよし) 1949年大分市生まれ。68年同志社大学政治学科入学即除籍。 72年ほんやら洞を岡林信康、中尾ハジメらとオープン。77年写真集『京都出町』を出版。78年米国で個展。90年代の10年間、京都新聞紙上にフォト&エッセイを連載。2001年以降欧州各地で個展。2009年京都美術文化賞、2014年仏ジャン・ラリヴィエール賞受賞。2013~14年毎日新聞関東版にフォト&エッセイを連載。2019年2月現在「月刊ふらんす」(白水社) にフォト&エッセイを連載中。
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揺れて歩く ある夫婦の一六六日
¥2,420
著者 清水哲男 B5判ヨコ変型(182×210mm、厚さ17mm) 並製、192ページ 定価:本体2,200円+税 ISBN 978-4-909819-08-6 C0072 2020年4月15日初版第一刷発行 「がんかて笑(わろ)て死ねるんや」(本文より) 末期がんを宣告された父は、何もせずに死を待つという道を選んだ。もう、充分生きたと言って。著者は、父親に残された時間をつぶさに記録しようと決意する。市井の片隅で生きる無名の人間のひとりとしての父の最期を見届け、その父を最後まで支えた母の生きざまをも記録することで、生きる意味とは何かを自問する。両親の生活を接写し、言葉を書きとめてまとめた、ごくプライベートな写真文集でありながら、結果的に、「死をめぐる人々のありのままの姿」を普遍的に描いた一冊となった。 〈目次〉揺れて歩く ある夫婦の一六六日 揺れて歩く 日々訥々 宙ぶらりんの会話 生活の規模 いくつになっても主婦は主婦 宣告の日 がんかて笑て死ねるんや 父の誕生日 不在の予定 終の七日 惜別 日々訥々 取り残されて 錆びた刃先 あとがきにかえて ひとりで歩く * 〈出版社エディション・エフより〉 この『揺れて歩く ある夫婦の一六六日』の出版にあたっては、著者が活動拠点としている鹿児島市で出版支援プロジェクトが立ち上がり、独自のクラウドファンディングによって多くのかたがたからの支援金が集まりました。ご支援くださったみなさまと、プロジェクトを遂行くださった著者ならびに著者の応援団のみなさんに心から御礼申し上げます。 原稿と写真を著者から受け取った当初は、「父の闘病と死」の事実に印象が支配されていましたが、編集制作の過程で幾度も読み直すうちに、これは紛れもなく、夫から妻へ妻から夫への恋文であり、父と息子そして母と息子それぞれの愛情往復書簡であると確信するに至りました。口下手な三者が最愛の人と過ごした濃密な時間の、写真と文章による記録。しかし単なる記録にとどまらない、読み手に自身の家族関係や生と死の意味を再考させる、モノトーンの絵巻物であるともいえます。ひとつの家族の濃密な時間を書物として封緘し、読者へ届けることの喜びを感じております。 なお、刊行予定時期に重なるように、新型コロナウイルスの感染拡大が全国に波及し、出版にともなうさまざまな企画を取り止めるに至りましたことを併せて記しておきます。 以下は、一連のイベント中止に際しての著者サイドからのステートメントです。エディション・エフも名を連ねてコメントを出しました。 ********************************* 【ご案内】 新型コロナウィルス感染拡大により、「揺れて歩く」上梓に関連する以下のイベントを中止または延期とさせていただきます。 ①4月14日 タカダワタリズム2020+出版披露の会@イパネマを中止に ②4月18日〜21日 清水哲男写真展「揺れて歩く」@スペースMuを状況改善までの延期に ③4月18日 金森幸介ライブ@スペースMuを中止に ④4月19日 大阪の仲間たちライブ@スペースMuを中止に それぞれいたします。 この件に関して清水哲男とエディション・エフ、「揺れて歩く」出版応援団事務局は、それぞれ以下のコメントを発表しました。 ============ 清水哲男の出版と写真展等の活動を 応援してくださるみなさまへ ============ 新型コロナウィルス感染拡大下のぼくの活動について 今この国では日に日に新型コロナウィルスの感染が拡大し、鹿児島でも感染者が確認されました。その一方で、メディアを通じて流れてくる情報をどこまで信じていいのかもわかりません。その結果、ぼくは東京や鹿児島、果てはこの国の中で起こりつつあることをどう受け止めていいのかわからないというのが正直な気持ちです。多くの人が、混沌の中で目に見えない恐怖に対する不安に身を縮めて、それでも生きなきゃと仕事と暮らしに向き合っているのだと思います。 そんな中、大勢の皆さんのご支援をいただき、ぼくの新刊「揺れて歩く」が刊行されます。そうしてその普及にあわせて、みんなで「生きること」を真ん中において、様々な議論を深め考えるプロジェクトを進める取り組みがはじまろうとしています。その中核のひとつとしていくつかのイベントを考えていました。そこに新型コロナウィルス感染拡大という状況が重なりました。 国は感染拡大防止策として不要不急の外出自粛を求め、専門家会議は密閉空間、密集場所、密接場所の「三密」を避けるようにとの提言をしています。しかし、鹿児島ではいまだ不要不急の外出の自粛を求められることはありません。当初ぼくは、新型コロナウィルスに対する闘いは、自分自身で徹底した感染防止策を実行した上で、ルーティンを淡々と続けることだと考えていました。すべてを自粛するのではなく、たとえば客足が落ちて困っているお店を順繰り回り飲み続けたり、集会や、イベント、ライブにも顔を出したり、公共交通機関もタクシーも普通に使ったりと。でないと、新型コロナウィルスに負けてしまうし、無責任で不誠実な国、厚生労働省をはじめとする行政システムの言いなりになってしまうことになる。それはぼくがこれまでカウンターカルチャーという周辺分野で生きてきたということにも関わることでした。 確かに現状起こりつつある検査体制の矛盾、予想される医師、病床数の不足、保健所機能の脆弱性などは、従来の政策の行き着くところとして推測されていたことで、それが新型コロナウィルスによって暴かれた側面はあると思います。そのことをおいて、ぼくたちに自粛を求め、果てに商品券をばら撒き、無利子とはいえ返さなければならない融資でお茶を濁し経済対策だと豪語する政府・行政は厳しく批判されなければならないと思います。 しかし今、ほんとうの敵は政府・行政ではありません。真の敵は新型コロナウィルスなのです。この敵を封じ込めるために、打ち勝つために、ぼく自身ができることを考えてみました。その結果、新刊上梓にあわせて予定していたいくつかのイベントを延期または中止しよう、あるいは実施の方法を変えようと思います。 ひとつは4月14日に予定していた鹿児島市東千石町イパネマでのタカダワタリズムと新刊披露の会を中止に、さらに4月18日から21日までの大阪市桃谷スペースMuでの写真展「揺れて歩く」と関連するライブを状況が落ち着くまでの延期にしたいと考えています。また、新刊披露の会は、SNSを活用した形での開催を目指します。 政府・行政に対抗する、批判することだけを目的にイベントを開催することで、感染のリスクをつくり出し、もし感染源となる場所をつくり出してしまうなら、それこそが非常事態宣言という制限と強制の社会を生み出す口実になるばかりか、真の敵新型コロナウィルスを利することになります。それだけはなんとしても避けたいと思います。 そもそもぼくは、生きて死ぬことをもっと自分の頭で考えようよという意味を込めて「揺れて歩く」を書きました。今がまさにその時だと思っています。そうして考えた結果、このような結論となりました。 しかし、どのイベントも遠来していただくゲストや、会場を提供していただく方の事情もあります。関わっていただく大勢の方の事情も含めて考えた苦渋の決断だとご理解ください。 みなさん、なにが大切か、なにをなすべきか、どう生きるか、そんなことをじっくり考えて行動しましょう。そうして新型コロナウィルスに打ち勝った時、あらためて集い楽しい時間を共有しましょう! 清水哲男事務所 清水哲男 ===== 皆さんとのつながりを信じて 新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、清水さんとじっくり対話を重ね、今回の決断にいたりました。いま社会のあらゆるつながりが試されています。私は、清水さんと、清水さんを応援するすべての皆さんとのつながりを信じて、今回のイベント延期を共に決断させていただきました。皆様、ご理解いただけますと幸いです。 「揺れて歩く」出版応援団事務局長 永山由高 ===== あなたの愛する人の時間のために、今は家に留まりましょう 新型コロナウイルスなどというものの到来は、飽くなき環境破壊を続ける人間の傲慢のひとつの帰結でしょう。私たちは、いきすぎた開発、いきすぎた実験、いきすぎた生産、果てはいきすぎた殺戮を繰り返しては自然界から大きなしっぺ返しを食らう、学習しない生き物です。とうとう目には見えないウイルスに足元をすくわれ、瀕死の状態です。とはいえ、それでも、長い時間をかけてこのウイルスを克服する日が訪れるに違いありません。ただし、そのあいだにはきっと大きな大きな幾万の犠牲を払わなければならないでしょう。幾千万もの人々が、大切な存在を突然奪われる悲しみと対峙しなければならないのです。 エディション・エフの新刊、清水哲男著『揺れて歩く ある夫婦の一六六日』は、余命宣告を受けた父と寄り添う母の様子を撮影し続けた息子による記録です。約五か月半といえば、ひとつの家族の長い時間の中のほんのひとときに過ぎませんが、「いのちの期限」を切られた三者が互いにその生きざまを見つめ認め合う様子が凝縮されており、モノクロの写真と文章から伝わります。 本書の刊行に合わせて写真展、また著者を囲んでのトークイベント等が企画されていましたが、当面、それらいっさいが中止または延期されることになりました。ですが本書は予定どおり刊行されます。ぜひ、書籍を手にしてお読みいただきたいと切に願います。 人は、いつか必ず死にます。そして、思いどおりには死ねないものです。だからせめて、準備の時間がほしいのです。突然足元をすくわれて倒され、苦しめられて死にたくなんか、ありません。あなた自身と、あなたの愛する人の時間のために、今は家に留まりましょう。本屋さんにだけ、出かけてください。『揺れて歩く ある夫婦の一六六日』を買うために。 エディション・エフ代表 岡本千津 ************************************ 【著者】清水哲男(しみず・てつお) 1954年京都市生まれ。同志社大学文学部哲学及び倫理学科専攻卒業。 卒業後、国内はもとより世界各地を放浪。1980年頃より執筆活動をはじめる。 常に野に在り、市井の人々の暮らし、労働の現場に入って日常をともにすることで得た実体験を頼りに思考し、書き続けている。2000年頃より表現の手法として写真撮影をはじめる。2014年より鹿児島、大阪、京都で写真展を開催する。1997年より鹿児島市在住。 『少年ジェットたちの路地』(1994年、風媒社)、『種子島へ』(2000年、再海社)、『死亡退院』(2004年、南日本新聞社)、『月がとっても青いから』(2012年、中央アート出版)など著書多数。
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モンブラン
¥1,980
『モンブラン』 著者 ファビオ・ヴィスコリオージ 訳者 大林 薫 四六判 242ページ 定価 1,800円+税 ISBN 978-4-9908091-7-1 2018年7月20日初版第一刷発行 “ポケットに入れて、背中にかついで、心に思って、僕はモンブランを連れていく。” 突然の大惨事から10年以上を経て 記録と、記憶と、創作をからませて綴った 心の再生の物語。 1999年3月、アルプス最高峰モンブランのふもと、フランスとイタリアをつなぐトンネルで火災事故が発生。著者ファビオ・ヴィスコリオージの両親は、そのモンブラントンネル火災事故で帰らぬ人となったのです。突然の大惨事から10年以上を経て、ようやく書きあげた当時の衝撃、両親の思い出、家族の記憶……。著者自身の心の再生を綴った物語です。(原書の刊行は2011年) 突然、事故や災害の犠牲者、被害者遺族になった。愛する人々の死を信じられないまま、気持ちの整理がつかないまま、時間だけが過ぎてゆく。怒りや悲しみはぶつける先が定まらないまま、消化不良状態でからだのどこかに残っている……。 ヴィスコリオージは、なすすべもなくただ目の前のさまざまなことをやり過ごしきた、あの時、この時を綴りました。 忘れたようで忘れられない、癒えたと思っていた傷がまだ疼く。心のどこにも片づけることのできない思いを抱えている人に、読んでいただきたい一冊。 装幀家、司修氏による表紙・カバー・帯デザインです。 【著者】 ファビオ・ヴィスコリオージ Fabio Viscogliosi 1965年、フランス・リヨン市郊外ウランに生まれる。リヨン在住。小説家として本書を含む3作品を出版するほか、グラフィック・アーティスト、漫画家、ミュージシャンとしても活躍している。1990年代初めから現在まで漫画本、絵本をコンスタントに出版。リヨン現代美術館(2009年)、モントルイユ公立図書館(2016年)等各地で作品展を行っている。音楽活動では2002年と2007年に自身のソロアルバムをリリースしたほか、他ミュージシャンとのコラボレーションや映画音楽、朗読BGMなど幅広く手がけている。 【訳者】 大林 薫 おおばやし かおり 青山学院大学フランス文学科卒業。フランス語翻訳家。訳書にコリーヌ・ルパージュ著『原発大国の真実 福島、フランス、ヨーロッパ、ポスト原発社会に向けて』(長崎出版/2012年)、共訳書にアドニス著『暴力とイスラーム 政治・女性・詩人』(エディション・エフ/2017年)、モーリス・ルブラン著『怪盗紳士アルセーヌ・ルパン 奇岩城』(角川つばさ文庫/2016年)などがある。 【モンブラントンネル火災事故】 「モンブラントンネル火災事故」は、1999年3月24日の火災発生から26日に鎮火するまでの3日間の惨事を指す呼称である。3月24日午前11時頃、トンネル内を通過中の冷蔵貨物トレーラーが燃料漏れにより爆発、たちまちトンネル内に火災が拡大する。激しい煙と高温のため多くの被害者はトンネル内シェルターにたどり着くことすらできず、結果、死者が39名に及ぶ大惨事となった。トンネルは事故後閉鎖され、修復と設備増強の工事、管理指揮系統の全面見直しと再構築を行い、約3年後に再び開通した。 事故現場のトンネル入り口付近には、事故の犠牲者の名を刻んだ慰霊碑が建立されている。
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核エネルギー大国フランス 「統治」の視座から
¥2,970
著者 セジン・トプシュ 訳者 斎藤かぐみ 解説 神里達博 A5判 284ページ 定価:2,700円+税 ISBN978-4-909819-05-5 2019年6月30日初版第一刷発行 《本書は世界最大の核利用国フランスにおける原子力とデモクラシーとのつながり、いやむしろ落差に関する論考である。フランスの核事業複合体に対する公共的・社会的な批判活動、その変遷、高揚と低迷、再起を扱い、それが過去数十年にわたり事業者・国家・規制機関に対して、どのような問題を提起したかも視野に入れている。(中略)核事業をめぐる議論は著しい鎮静化の段階に入っていた。90年代終盤から〔核事業〕推進勢力は、気候変動に立ち向かう環境派というイメージを巧妙に打ち出しており、この新たなイメージ戦略が大きく効いていたのである。》(本書p.14-15、「日本語のための序章」より) 科学史家・科学社会学者セジン・トプシュはフランス国立学術研究センター(CNRS)研究員。本書の原著書は、2011 年 3 月以前にトプシュが完成させていた博士論文が骨子となっています。出版へ向け最終段階に入っていたそのときに、東日本大震災が起こり、福島第一原発事故が発生しました。トプシュは日本にかんする論考をさらに加筆し、2013 年、スイユ社から出版されました。 本書日本語版は、かねてからこの分野に関心をもつ翻訳家、斎藤かぐみさんの熱意が出版の実現を果たしたといえます。論文とはいえ、広く一般の人びとにも読まれるよう、文体や訳語に読みやすさを考慮しました。 さらに、 千葉大学教授で科学技術社会論の神里達博さんが、本書の内容を私たちの身辺にぐっと近づける解説を執筆してくださいました。 私たちは、あの未曽有の惨事を「無かったこと」にしようとしてないでしょうか? 五輪や万博があの最悪の人災を帳消しにできるとでも? エディション・エフは、フランスの核事業推進史とそれに対する批判活動・反対運動の軌跡をたどり検証した本書は、世界唯一の被爆国でありながら核保有大国にすり寄り、国土を原発列島化させているこの国の人びとにとって重要な参考文献になると考え、出版を決めました。 人間の命が代々継がれていくものである以上、広島も長崎もまだ終わってはいません。第五福竜丸も、ビキニ環礁も、チェルノブイリもけっして終わることはありません。福島は、言うまでもありません。 【目次】 日本語版のための序章 序論 第1部 1970年代の強硬な核事業――抗議活動を意に介さない国威発揚 第1章 1974年のメスメール計画の誕生 1.石油危機以前の大きな胎動 2.大量消費社会の「安価なエネルギー」なる触れこみ 3.「エネルギー自立」の実態 4.リスク社会の創出へ 第2章 抗議するフランス――原子力への幻滅 1.草創期のアクター・ネットワーク――メスメール計画以前 2.オイルショックから、原発ショックへ 3.科学者たちの批判活動 第3章 エコロジスト活動家たちの監視と馴致 1.穴だらけの公衆意見調査 2.適正化は後づけで 3.経済による統治 4.情報提供および秘密化による統治 5.社会科学の専門要員 6.世論調査による統治 7.批判活動に対する統治の「新たな精神」 第2部 チェルノブィリに続く10年間――専門評価と透明化へ、誘導された批判活動 第4章 1986年4月26日の直後――秘密化による統治 1.「国境で止まったプルーム」 2.秘密主義の規範化/常態視 第5章 衣替えした抗議活動 1.チェルノブィリ後の推進体制 2.批判活動の専門科学化――CRIIRADとACROの誕生 3.対抗調査というアクション 4.「透明化」の運用――ラ・アーグ情報委の事例 第6章 ニュークスピーク――用語による統治 1.端緒は冷戦期 2.神聖化から脱神聖化へ 3.チェルノブィリ後の核用語 第3部 1990年代以降――「参加」と「環境主義」の至上命令 第7章 汚染地における「参加型デモクラシー」 1.チェルノブィリという「人類規模の衝撃」 2.エートス・プロジェクト――汚染地での暮らし方、教えます 3.事故後管理の新たなパラダイム 4.そこに異議あり 第8章 原発大国フランスにおける「専門式デモクラシー」 1.ラ・アーグの白血病問題 2.旧ウラン鉱山の汚染問題 3.「グリーン」な核エネルギー vs 「脱核ネット」 4.欧州新型炉に関する公衆討議 第9章 ニジェールにおけるアレヴァのウラン事業 1.ニジェールの逆説 2.立ち上がったアーリット市民社会 3.CRIIRADと「シェルパ」の現地調査 4.フランスで論争が再燃 5.「アギル・インマン」と鉱山会社の間の緊張 6.「植民地化やめろ!」 7.排除されるニジェールの社会運動 終章 訳者あとがき 解説 【著者】セジン・トプシュ(Sezin Topçu) 科学史家・科学社会学者、国立学術研究センター(CNRS)研究員、社会科学高等研究院(EHESS)マルセル・モース研究所社会運動研究センター所員。ボスポラス大学卒業後、ストラスブール大学を経て、社会科学高等研究院(EHSS)で博士号取得。技術分野・医療分野におけるイノベーションの諸々の統治形態を研究テーマとする。とりわけ注目している現象が核エネルギー化および医療化、批判勢力として注目しているのが環境運動およびフェミニスト運動、研究対象とする国がフランスおよびトルコである。 【訳者】斎藤かぐみ(さいとう かぐみ) Institut Européen des Hautes Études Internationales 修了(学位取得論文« Le droit de propriété intellectuelle. Les enjeux économiques et commerciaux de la technologie »)。株式会社東芝を退職後、『ル・モンド・ディプロマティーク』日本語版を創刊、2011年末まで発行人を務める。国際基督教大学Othmer記念科学教授職付き助手(STS担当、非常勤)を経て、フランス語講師(非常勤)。訳書に『力の論理を超えて』(共編訳/NTT出版/2003年)、オリヴィエ・ロワ著『現代中央アジア』(白水社/2007年)、アンヌ=マリ・ティエス著『国民アイデンティティの創造』(共訳/勁草書房/2013年)他。 【解説】神里達博(かみさと たつひろ) 東京大学工学部卒。東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学。三菱化学生命科学研究所、科学技術振興機構、東大・阪大特任准教授などを経て、現在、千葉大学国際教養学部教授。朝日新聞客員論説委員、阪大客員教授等を兼任。博士(工学)、専門は科学史、科学技術社会論。著書に『食品リスク――BSEとモダニティ』(弘文堂/2005年)、『文明探偵の冒険――今は時代の節目なのか』(講談社現代新書/2015年)、『ブロックチェーンという世界革命』(河出書房新社/2019年)、共著に『没落する文明』(集英社新書/2012年)などがある。
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神(イマーナ)の影 ルワンダへの旅―記憶・証言・物語
¥2,200
著者 ヴェロニク・タジョ 訳者 村田はるせ 四六判 216ページ 定価:2,000円+税 ISBN978-4-909819-06-2 2019年10月25日初版第一刷発行 【【【!!!最新ニュース!!!】】】 【著者ヴェロニク・タジョさん来日決定】 【【【!!!2023年3月初め!!!】】】 もともと2020年の夏に予定されていた本書の著者ヴェロニク・タジョさんの来日。新型コロナウイルスの大流行という厄災が世界中を覆って、やむなく中止、無期限延期となっていました。その後、状況に鑑み、来日のチャンスが模索されてきましたが、ようやく、ようやく、ようやく!!!叶います!!! 嬉しいです。嬉しい! ヴェロニク・タジョさんに会える! 東京での講演、京都での「囲む会」を企画しています。SNS等で告知していきます。どうぞご期待ください。 ※来日記念講演(東京大学)およびお話し会(堺町画廊)のイベントは終了しました。 * 【【【!祝!】】】 【ヴェロニク・タジョさん フランス文化通信省より芸術文化勲章コマンドゥールを受章】 2021年秋、とても喜ばしいニュースが伝わってきました。 『神(イマーナ)の影』著者のヴェロニク・タジョさんにフランスから芸術文化勲章が授章されたのです。コートジヴォワール人を父に、フランス人を母にもつタジョさんはつねにフランス語で発信し、作品を創り続けてきました。その功績をたたえる授章。ほんとうに素晴しいことです。彼女の仕事を評価するフランスにも拍手。 エディション・エフも、ささやかですがこれを祝して単行本の帯を新調しました。 画像を切り替えてご覧ください。 * 《わたしはある前提とともに出発しようとしていた。それは、起こったことはわたしたちすべての人間にかかわりがある、というものだ。ルワンダのジェノサイドは、アフリカの黒い中心で孤立し、忘れ去られた一国民だけの問題ではない。大騒ぎし、ただ激高したあげくにルワンダを忘れるのは、片目を失うこと、声を失うこと、ハンディを負うことだ。暗闇を、延ばした両手でさぐり、ふいに未来に衝突しないよう歩くようなものだ。》(本書p.10) ヴェロニク・タジョはコートジヴォワール人の作家、絵本作家、児童文学研究家。母の国フランスで生まれ、父の国コートジヴォワールで育ち、パリのソルボンヌ大学で学び、コートジヴォワールのアビジャン大学で教鞭をとり、南アフリカ共和国のヴィットヴァターズランド大学でフランス語部門の責任者を務めました。絵本作家として絵本を多数世に出し、そのなかには自ら絵とテキストの両方を手がけた作品もあります。児童文学研究家としては、アフリカの子どもたちに母語で語り継がれる自分の国の物語を残すため、マリやベナン、チャドやルワンダで絵本制作のワークショップを展開もしました。 長い植民地支配から抜け出した国々にとって、自分たちの歴史を読み直すため、自分たちの物語を紡ぎなおすためには、旧宗主国から与えられる書物だけでは不十分なはずです。「わたしは何者か」を自問するためには、自分たちの言葉で考え、読み、書く必要があったでしょう。そしてそれを子どもたちが受け継いでいく必要があったでしょう。 こうした背景から、タジョは、アフリカの子どもたちのための絵本づくりに打ち込んだのでした。 タジョにとって1994年にルワンダで起きた民族対立・大量虐殺は目を逸らすことのできないとてつもない出来事でした。タジョ自身の故国コートジヴォワールにおいても、国民間の対立や外国人排斥の動きはすでにあり、他人事(ひとごと)と済ませられない危機感をもって、1998年、タジョはルワンダへ向かったのでした。 2度のルワンダ訪問を終え、その見聞をもとに考察し、紡ぎ出した物語をタジョは2000年、フランスで出版しました。L'Ombre d'Imana(イマーナの影)。かねてよりアフリカの児童文学事情を研究し、ヴェロニク・タジョとも接触を図っていた村田はるせさんがこの本に注目し、研究対象として読み込んでいました。 その村田さんが、あるとき大阪でアフリカ絵本の展示と読み聞かせの会を開くということを耳にし、エディション・エフはいそいそと出かけ、村田さんにお話をうかがうことができたのでした。 人類史上にはけっして消すことのできない苛酷な事件が、悲しいことに幾度も起こっています。ルワンダのジェノサイドは間違いなくそのひとつに数えられます。数多くの検証の書、贖罪の声を集めたルポルタージュなどが出版され、日本語での出版もされています。それでも、このことについてわたしたちはやはり知らなすぎるのではないか、センセーショナルな一事件としてのみ扱ってきていないか。エディション・エフは、2000年刊行の原書ながら、いまこそ本書を広く共有したいと考えました。負ってしまった深い傷はなかなか癒えないこと、憎しみは何も生まないことを知り、安易にヘイトスピーチに走る現在の風潮に一石を投じたいのです。もう一度ルワンダを見直すことで、私たち自身の社会にかんする考察にもつながると思い、この本を世に送り出します。 『神(イマーナ)の影 ルワンダへの旅―記憶・証言・物語』。 本書のカバーの写真は、訳者の村田はるせさんがルワンダで撮影された写真を使わせていただきました。 【目次】 初めてのルワンダ 南アフリカ、ダーバンにて――海岸沿いの駐車場で出会った男/ヨハネスブルグからパリへ/パリ経由でブリュッセルへ/サベナ五六五便に乗る/キガリの街を歩く/ニャマタの教会/展示された武器/ンタラマの教会/トニア・ロカテッリ/ブタレへの道/王都ニャンザ/ギタラマを通過する/ビュンバにて――クブウィマナ一家訪問/キガリの弁護士/途方にくれる男/小説家/コンソラートに起きたこと/プロジェクトリーダー/仮面を蒐集する男/ジャーナリスト/キガリ、アマホロ・スタジアムに近いミギナ界隈にて――ネリーのこと/キガリで耳にした物語/最初の帰還 死者たちの怒り 彼の声 アナスターズとアナスタジー そのとき、そこにいなかった人々 カール/セトとヴァランティーヌ ルワンダ再訪 サベナ五六五便/キガリ――キミフルラ、コテ・カディヤックにて/キチュキル・コミューン内のカガラマ・セクターにて/〝ツチにしか見えない〟ザイール人の女/ノングウェでの巡回軍法会議――旧政府軍少尉エドゥアール・ムジャンベレの裁判/牧師/リリサの刑務所、七千人の囚人/死刑囚・終身刑囚ブロック/ブロック一五――二百五十三人の女性囚/フロデュアル、殺人者となった若い農夫/ジョゼフィーヌ/最高の七人/フツ・パワー〝フツの十戒〟/ルワンダ南西部、キベホ・キャンプで起きたこと――一九九五年四月二二日/シスター・アガト/二度めの帰還 訳注・参考文献 日本語版のためのあとがき ヴェロニク・タジョ 訳者あとがき 【著者】ヴェロニク・タジョ Véronique TADJO コートジヴォワール人の父とフランス人の母のあいだに1955年パリに生まれ、父の国の経済首都アビジャンで育つ。詩人、小説家、画家、児童文学作家・研究家。現在は拠点をロンドンとアビジャンに置く。パリのソルボンヌ大学でアメリカ黒人文化を研究し、博士論文を提出。1983年に詩集Laterite(ラテライト)が文化技術協力機構文学賞を受け、以降作家として活動する。そのかたわら、コートジヴォワールのアビジャン大学で教鞭をとり、2007~2015年には南アフリカ共和国のヴィットヴァターズランド大学でフランス語部門の責任者を務めた。児童文学作家としては自ら挿絵を描くこともあり、マリやベナン、チャド、ルワンダなどで絵本制作のワークショップを開催し、アフリカの児童文学発展に貢献した。 最新の小説作品は2017年刊行のEn compagnie des hommes(人間たちとともに)。邦訳作品は本書『神(イマーナ)の影』のほかに絵本『アヤンダ おおきくなりたくなかったおんなのこ』(村田はるせ訳、風濤社、2018年)がある。 【訳者】村田はるせ Haruse MURATA 東京外国語大学地域文化研究科博士後期課程修了(博士(学術))。アフリカ文学研究者。研究対象はサハラ以南アフリカのフランス語を公用語とする国々の文学。西アフリカで出版された絵本の紹介と展示も全国で展開している。アフリカについて学ぶ「クスクス読書会」主宰。著書に『アフリカ学事典』(共著/昭和堂/2015年)。訳書に『アヤンダ おおきくなりたくなかったおんなのこ』(ヴェロニク・タジョ文、ベルトラン・デュボワ絵/風濤社/2018年)。
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暴力とイスラーム 政治・女性・詩人
¥2,640
著者 アドニス 聞き手 フーリア・アブドゥルアヒド 監訳 片岡幸彦 翻訳 伊藤直子・井形美代子・斎藤かぐみ・大林薫 四六判 約250ページ 定価:2,400円+税 ISBN978-4-9908091-3-3 2017年6月1日初版第一刷発行 現代アラブ世界を代表する詩人アドニスと、精神分析学者フーリア・アブドゥルアヒドの対談。イスラームとアラブの諸問題を政治を切り口に、コーランの文言や女性の地位、詩や芸術の存在意義に至るまで語り尽くす。ムスリム(イスラーム信徒)とアラブ人と彼らを取り巻くすべての人びとに突きつける渾身のメッセージ。 “イスラームに内在する暴力がムスリムたちにどれほど影響を及ぼしているか。知性もさることながら、人間性そのものさえ損ないかねないほどなのです。” “イスラームは男女両性の在り方を歪曲し、愛を否定し、女性的自我と男性的他者との関わりを、つまり、あらゆる人間関係を捻じ曲げてしまったのです。” “彼らはただひと筋に信じる以外、ないのです。こうして暴力は神聖化され、公称の「歴史」もまた、神や預言者によって創造されたことになりました。”(本文より) 【目次】 日本語版への序文 止むことなく破壊は続く 公称の「歴史」を読み直す イスラームの成立とその精神 コーランには何が書かれているのか 女性、女性性、女性的なるもの 「イスラム国」を衝き動かすもの アラブに執着し続けるヨーロッパ 芸術と宗教、神話と宗教 詩は言葉と戒律の狭間で 真正アラブ・イスラーム史の復権のために 「記憶」から人々を救うために 結語 本質主義に抗して 【著者紹介】 アドニス 1930年シリア北部ラタキア県生まれ。現代アラブ世界を代表する詩人。本名はアリ・アフマド・サイード・イスビル。父親の教えでコーランはもとより幼少時から詩に親しむ。ダマスカス大学で哲学を専攻。1955年シリア国民党弾圧にともない、党員とみなされて6か月間投獄される。釈放後レバノンへ移住し、ベイルート大学で博士号取得。1960~61年のフランス留学を経て、ベイルート大学で教鞭を執る。1980年、フランスへ亡命、在住。アラビア語で詩を書き続け、精力的に詩集を発表、各国語に翻訳されている。 フーリア・アブドゥルアヒド パリ第七(Denis Diderot)大学准教授、精神分析学者。専門分野における自身の著作のほか、アラビア語からフランス語への翻訳者として主にアドニスの著書の翻訳を多数手がける。
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ぼくのがっかりした話
¥1,540
シリーズ再生の文学 『ぼくのがっかりした話』 ■■■英明企画編集の本■■■ 著者 セルジョ・トーファノ 訳者 橋本勝雄 新書判 160ページ 定価 1,400円+税 ISBN 978-4-909151-31-5 2021年8月30日 発行 【帯の言葉】 おなかをこわして肉食をやめた人食い鬼、没落したアラジン、赤ずきんの家で下男として働く狼、不眠症に悩む眠れる森の美女……。イタリアの鬼才が贈るユーモアとペーソスに満ちたがっかりの世界! * いったいこれはどんな物語なのでしょう? セルジョ・トーファノって誰? 訳者の橋本勝雄氏による詳しい「訳者あとがき」から引用します。 《セルジョ・トーファノ『ぼくのがっかりした話』は、いまから百年ほどまえ、一九一七年九月三〇日から一〇月二八日まで、五回にわたって雑誌『コリエーレ・デイ・ピッコリ』に掲載されました。『コリエーレ・デイ・ピッコリ』は一九〇八年に創刊され、一九九六年まで八八年間にわたってイタリアの子どもたちに親しまれた絵入り週刊誌です。》(128ページ) なんと、100年前に書かれた物語ですと。 しかも「赤ずきんの家で下男として働く狼、不眠症に悩む眠れる森の美女」だなんて、堂々たる古典名作童話を揶揄しまくっているとは! 面白そうでしょ! ぜひぜひお読みください! * 物語の冒頭です。 《ぼくが小学校の卒業試験に三回めの落第をしてしまったので、気の毒な父さんと母さんは、このままぼくに勉強を続けさせるかどうか迷ってしまった。(中略) 「それは時間のむだですよ」ぼくをよく知っている先生は、はっきり言った。「わたしの言うことをお聞きなさい。この子は頭が悪すぎるんです」 (中略) たくさんの家庭教師がやってきた。その数なんと、一か月で一二人。(中略)そしてみんな、口をそろえて父さんに言った。 「時間のむだですよ。まあ、お聞きなさい。この子は頭が悪すぎます!」》(5~6ページ/第一章 はじめに、父さんと母さんが、がっかりした話が語られる より) ……ひどくない?(苦笑) 「頭が悪すぎる」と散々な言われようをしている「ぼく」、主人公のベンヴェヌート少年。それでも13人めの家庭教師としてやってきたパルミーロの語る話に魅せられて、おとぎ話の世界へ出発する……。 ところが、旅先で出会うのはどれもこれも「がっかりする話」。 《赤ずきんの家をあとにしたぼくらは、あまりにもつらい光景を目にして、なんともいえないほどがっかりし、そのうえおなかがすいていた。》(98ページ/第九章 七つめのがっかり より) * 奥付に記載されている著者情報です。 【著者】 セルジョ・トーファノ Sergio Tofano (1886-1973) イタリアの俳優、演出家、挿絵画家、漫画家。1909年に役者デビュー、複数の劇団の共同座長を務め、国立演劇学校で後進の指導にあたるなど、戦前から戦後まで舞台、映画、テレビで活躍。洗練されたユーモアを特徴とする「ブリッランテ」役を得意とした。STOのペンネームで挿絵を手がけ、1917年に雑誌『コリエーレ・デイ・ピッコリ』に発表した漫画『ボナヴェントゥーラさんの冒険』のシリーズが大人気となる。『ぼくのがっかりした話』は、カルロ・コッローディからジャンニ・ロダーリに至るファンタジー文学の系譜に属する貴重な作品。 【訳者】 橋本勝雄 (はしもと かつお) 1967年生まれ。京都大学文学部卒業、同大学大学院博士後期課程単位取得退学。現在、京都外国語大学教授。訳書に『イタリア語の起源――歴史文法入門』(パトータ)、『イタリア20世紀史――熱狂と恐怖と希望の100年』(コラリーツィ、共訳)、『プラハの墓地』(エーコ)〈第2回須賀敦子翻訳賞受賞〉、『鏡の前のチェス盤』(ボンテンペッリ、トーファノ画)、『19世紀イタリア怪奇幻想短編集』などがある。
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Go to Togo 一着の服を旅してつくる
¥1,650
『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』 ■■■烽火書房の本■■■ 著者 中須俊治 四六判 224ページ 定価 1,500円+税 ISBN 978-4-9911160-0-1 2020年4月30日 初版第一刷発行 【帯の言葉】 「誰も見たことのない景色を見に行こう」と ぼくはアフリカ大陸をめざした。 * 著者の中須俊治さんは1990年生まれ。現在は株式会社AFURIKA DOGSの社長としてアフリカから輸入した美しい布地を展示販売したり、オーダーメイドで服に仕立てたり、オリジナル柄の布地をアフリカと京都の職人をコラボレーションさせて開発したりしています。 彼がなぜこうしたビジネスを興したか、その道のりを書いたのがこの『Go To Togo』です。 この本、とても面白い造本になっています。外からの見た目はごく普通の四六判の書籍ですが、ページを開くと、「あれ? 乱丁?」とつい不審に思ってしまいます……。 以下、版元の烽火書房さんのHPからの引用です。 《「グローバル人材」の意味がわからず就職活動をやめて、アフリカ・トーゴのラジオ局に行ったことから、大きく動きだした人生。 トーゴで出会った友達との「みんなが笑って過ごせる世界をつくりたい」という約束を守るため、いったん就職後、独立起業。トーゴ布職人と京都の染色職人の技術をつなぎながら、見落とされてしまうたくさんの価値をつないで、新たな服づくりに挑戦する株式会社AFURIKA DOGS中須俊治の奮闘記。 文化も違えば言葉も違う1万3000キロ離れたトーゴへ行くことは、文字通り価値観が回転するような体験です。この書籍では「日本編=縦書き」「トーゴ編=横書き」で展開し、舞台が入れ替わるたびに書籍を180度回転させながら読み進めていく一冊です。》 * 2020年4月にこの本が発売された当時、世の中はコロナ禍に見舞われ、誰もが思うような行動をとれずにいました。ところが中須さんの以降の活躍は目を瞠るものがありました。すでに手許にあった、トーゴから持ち帰った布地や雑貨、アート作品などを積極的に展示販売していきました。もちろん、人の集まるイベントがことごとく中止になっていくなか、そうした機会を得ることは困難の極みでしたが、小さなチャンスを掬いとるようにものにして、「アフリカ」を見せてアピールしていきました。 今ではオフィスと直営店舗を構え、トーゴと京都に自社のための製品を製造・販売するスタッフを抱えています。 中須さんを知る人は、彼の明るさと腰の低さ、人を傾聴する姿勢を褒めたたえます。それは彼が金融マン時代に培った処世術かもしれないし、あるいは生来の美徳なのかもしれません。 『Go To Togo 一着の服を旅してつくる』は、タイトルどおり、中須さんが旅の途上にあり、ビジネスも緒に就いたばかりのところで締めくくられています。アフリカと日本にしっかり拠点を置き、新たな展開を模索し続ける中須さんの「その後、そして今」を読みたいものですよね! 【著者】 中須俊治 なかす としはる 1990年京都府生まれ。滋賀大学経済学部卒業。株式会社AFURIKA DOGS代表取締役社長、重彩プロデューサー。 大学在学中、就職活動に疑問を感じ、アフリカのトーゴ共和国を訪れ、現地のラジオ局にてジャーナリストとして番組制作に携わる。帰国し、卒業後は金融機関に入社、営業担当として勤務したのち、独立、起業。 「みんなが笑って過ごせる世界をつくる」ために日本とトーゴを往復し、築いた人脈を強固にしながら、両国の職人の技術をつないで自社製品の開発を進めている。トーゴから輸入した独特の模様のプリント布地は人気を博し、有力百貨店での展示販売を行うなど、アパレル業界に静かなる旋風を起こしつつある。
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京都の里山を駆けぬけて
¥1,980
『京都の里山を駆けぬけて アルキニスト/民族植物学者の哲学と軌跡』 ■■■英明企画編集の本■■■ 編著者 阪本寧男、物集女くらぶ 四六判 294ページ 定価 1,800円+税 ISBN 978-4-909151-80-3 2022年1月26日 発行 【帯の言葉】 孤高にして自由 そして天邪鬼な探究者 阪本寧男の魂の記録 【推薦文】 京都大学という密林(ジャングル)は、計り知れない知と行動力をそなえた人財の多様性中心である。人と植物との関わりを探究して世界を駆け巡ったフィールド研究者、阪本寧男の世界は、そのなかでもひときわ引き立ついぶし銀の輝きをはなっている。 ―――――山極寿一 第26代京都大学総長/ 総合地球環境学研究所所長 * 著者の阪本寧男氏は、民族植物学者とありますが、本書は阪本氏が子どもの頃に遊んだ里山の記憶を基点に、「発展」し「便利」になる暮らし、激しく姿を変えてゆく町、失われる里山の自然、戦争の爪痕……といった歴史的、経済的、文化的な側面にも言及しつつ、あちこちに生息していた動物、虫類、もちろん植物も、あらゆる生物についての調査を披露する報告書であるといえます。阪本氏は山科の生まれ。彼が生まれた山科と、現在の山科とではあまりにも風景が異なるそうです。 《ちょっと個人的なことを述べて恐縮であるが、そこがどんな場所であったかというと、標高約一八〇メートルのアカマツ林の典型的な里山であった。生活するのに必要な水はまさに、”水は天から貰い水”で、雨水だけが頼りであった。飲料水は雨水というわけにはいかず、地図の黒丸の左下に旭滝と書いてあるが、この小さな滝へ雨が降ろうが、雪が降ろうが、幼い子供の時から毎朝父と一緒に水汲みに行くことが、誰も絶対文句を言うことのできない日課であった。》(32~33ページ、2 私の「すいば」より) 昼間は停電し、夕方、外が薄暗くなると電気がきて灯りをつけることができる、といった記述もあり、現在では想像のつかないような、戦前の庶民の暮らしぶりが垣間見えます。 阪本氏はアメリカやフィリピンに渡航しての調査も行っています。 どこへ行っても、ひたすら歩いて採集し、調べています。 本書のタイトルには「駆けぬけて」とありますが、サブタイトルの「アルキニスト」とは、登山家をいう「アルピニスト」をもじった「アルキニスト=歩きにすと」なのだそうです。 カッコイイですね! * カバー袖、奥付に記載されている編著者情報です。 【著者】 阪本寧男 さかもと さだお 1930年京都市生まれ。1954年京都大学農学部農林生物学科卒業。1962年ミネソタ州立大学大学院修士課程修了、農学博士(京都大学)。国立遺伝学研究所研究員、京都大学農学部助教授、同教授、龍谷大学国際文化学部教授を歴任。民族植物学専攻。 【編者】 物集女くらぶ もずめ くらぶ 本書の編纂の結成されたゆるやかな集まり。
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水平線
¥1,320
著者 山川三多(やまかわさんた) A5判、104ページ 定価 1,200円+税 ISBN978-4-9908091-2-6 2016年6月30日初版第一刷発行 『昼のビール』に続く山川三多詩集第2弾! ◆書き下ろし詩編35編と「あとがき」を収録しました。 帯文は、「八十路の 清々しさに 背筋が 伸びる」。 年長者の発言には重み、含みがあります。背景には歳月という長い道のりがあります。山川三多は八十歳。詩篇の一行一行、一語一語、またひと文字ひと文字を目で追って読んでいくと、知らず背筋を伸ばし姿勢を正している自分に気づきます。 ◆表紙画・挿画は『昼のビール』と同じくナカライエイコが描きました。 ◆装幀は京都のデザインプロダクション、ウーム総合企画事務所の俊才デザイナー、岩永忠文が担当しました。 【書き下ろし詩集です】 『昼のビール』に好評を得て、再びエディション・エフから詩集を刊行することを念頭に、山川三多はいくつもの詩を書きました。幾度も、書き直しました。エディション・エフの編集室には、赤字や二重線でいっぱいになった原稿用紙が届きました。パソコンに打ち込んで、出力した詩篇の束は、さらに詩人と編集室を往復しました。 2015年に『昼のビール』が刊行された頃、山川三多は船旅に出ていました。海と空を見つめて過ごす幾日かのあいだに、多くのことを考えました。さまざまなことを考えました。旅の友と人生談義に花を咲かせました。船旅は非日常のようでいて、日常でもありました。発見にもあふれていましたけれど、人生のおさらいでもありました。 『水平線』の収録詩は、船旅のあいだ、または帰着後に書き綴られたものばかりです。八十路にして、「人生の第四コーナー」をまわるぞと意気込み、「やるべきことは山ほどある」と言い、「青春なんて/あとからいくらでも/つくり出せるのに」と老いる気配のない、山川三多です。 山は山にあらず 川は川にあらず などと悩んだこともあり ちっぽけもわるくはないと、 ちっぽけな自分がいます。 ——(「風」)
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昼のビール
¥1,320
『昼のビール』 山川三多詩集 著者 山川三多(やまかわさんた) A5判、88ページ 定価 1,296円(税込) ISBN978-4-9908091-0-2 2015年6月30日初版第一刷発行 『昼のビール』は、山川三多の29篇の詩を仏訳とともに編んだ詩集。 ◆著者の山川三多はビジネスマンとして多くの事業を手掛け、いち早くIT業界にも進出し現在のインターネットプロバイダ産業の基礎固めにも貢献した人物です。過去にはビジネス関連の著作も多数あります。学生時代に聴講した西脇順三郎はじめ内外の詩人に造詣が深く、一線を退いたあとは詩作に励んでいます。これまでに『ざまあみろ』等三冊の詩集(いずれも敬文舎)を上梓。 ◆仏訳を担当したのはナディア・ポルキャール。現在パリのソルボンヌ大学でフランス文化を教える傍ら、映画製作や小説の執筆を行うアーチスト。16年間京都に住んでいた経験を活かし、さまざまなジャンルで日仏翻訳を手がけています。 ◆挿絵を描いたナカライエイコは幻想的かつ温かみのある画風が特徴。『昼のビール』では自身のデザインオフィス名義で装幀も手がけました。