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京都ほんやら洞の猫
¥1,650
著者 甲斐扶佐義 A5判 144ページ 定価:本体1,500円+税 ISBN 978-4-909819-04-8 2019年3月15日初版第一刷発行 ここには郷愁以上のものがある 京都のカウンターカルチャーの拠点《ほんやら洞》全焼から4年。 ほんやら洞の店主で、美女や京都の市井の人々の撮影にかけては定評のある写真家が、焼け残されたプリントとネガの山から救出した猫写真の数々をまとめた。 (カバー裏表紙より) * 『京都ほんやら洞の猫』は、京都が誇る市井の写真家・甲斐扶佐義さんの猫写真集です。 エディション・エフから本書を世に出せることに、大きな喜びを感じています。甲斐さんの被写体となった猫たち、子どもたち、京都の人々、そして風景。制作中、幾度となく写真の数々とにらめっこしては、感慨にふけりました。 「ほんやら洞」は甲斐さんがシンガーソングライター岡林信康さんらとともにオープンした喫茶店。学生はもちろん内外の芸術家や知識人が出入りし、二階では読書会など文化的な催しが開かれ、さまざまな活動の拠点にもなっていました。猫が住みつくようになってからは子どもたちも集まり、甲斐さんは、そんなほんやら洞の日常を撮り続けてきたのでした。 ところが、ほんやら洞は不幸にも4年前、火事で焼失。店に保管してあった膨大な数のネガやプリント、そればかりか準備中の著書の草稿までもが失われました。いったいどれほどの失意が甲斐さんを襲ったでしょうか。想像するのは容易ではありません。 でも甲斐さんはけっしてへこたれず、焼け跡から写真を救出し続けました。諦めず、根気よく、救出し続けたのです。 今回、整理したなかから猫の写真を集めて編集し、エディション・エフから刊行する写真集としてまとめてくださいました。 装幀はLily Design & Photoの浜田佐智子さん。浜田さんはブックデザイナーであると同時に、写真家・甲斐さんの有能なアシスタントであり、自身も写真家として写真集を刊行しています。 * ここで取り上げた写真は大別すると、ひとつは70年代の数年間のほんやら洞とその周辺の写真であり、もうひとつは90年代に子どもとともに出会った街猫の写真だ。 前者では、猫と猫好きの仲間や客とのやり取りのシーンを撮ったものが多い。後者は、90年代から2000年にかけてはからずも始まった「美女との猫さがし」で撮った猫が中心だ。 (あとがきより) 【著者プロフィール】 甲斐扶佐義(かい・ふさよし) 1949年大分市生まれ。68年同志社大学政治学科入学即除籍。 72年ほんやら洞を岡林信康、中尾ハジメらとオープン。77年写真集『京都出町』を出版。78年米国で個展。90年代の10年間、京都新聞紙上にフォト&エッセイを連載。2001年以降欧州各地で個展。2009年京都美術文化賞、2014年仏ジャン・ラリヴィエール賞受賞。2013~14年毎日新聞関東版にフォト&エッセイを連載。2019年2月現在「月刊ふらんす」(白水社) にフォト&エッセイを連載中。
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揺れて歩く ある夫婦の一六六日
¥2,420
著者 清水哲男 B5判ヨコ変型(182×210mm、厚さ17mm) 並製、192ページ 定価:本体2,200円+税 ISBN 978-4-909819-08-6 C0072 2020年4月15日初版第一刷発行 「がんかて笑(わろ)て死ねるんや」(本文より) 末期がんを宣告された父は、何もせずに死を待つという道を選んだ。もう、充分生きたと言って。著者は、父親に残された時間をつぶさに記録しようと決意する。市井の片隅で生きる無名の人間のひとりとしての父の最期を見届け、その父を最後まで支えた母の生きざまをも記録することで、生きる意味とは何かを自問する。両親の生活を接写し、言葉を書きとめてまとめた、ごくプライベートな写真文集でありながら、結果的に、「死をめぐる人々のありのままの姿」を普遍的に描いた一冊となった。 〈目次〉揺れて歩く ある夫婦の一六六日 揺れて歩く 日々訥々 宙ぶらりんの会話 生活の規模 いくつになっても主婦は主婦 宣告の日 がんかて笑て死ねるんや 父の誕生日 不在の予定 終の七日 惜別 日々訥々 取り残されて 錆びた刃先 あとがきにかえて ひとりで歩く * 〈出版社エディション・エフより〉 この『揺れて歩く ある夫婦の一六六日』の出版にあたっては、著者が活動拠点としている鹿児島市で出版支援プロジェクトが立ち上がり、独自のクラウドファンディングによって多くのかたがたからの支援金が集まりました。ご支援くださったみなさまと、プロジェクトを遂行くださった著者ならびに著者の応援団のみなさんに心から御礼申し上げます。 原稿と写真を著者から受け取った当初は、「父の闘病と死」の事実に印象が支配されていましたが、編集制作の過程で幾度も読み直すうちに、これは紛れもなく、夫から妻へ妻から夫への恋文であり、父と息子そして母と息子それぞれの愛情往復書簡であると確信するに至りました。口下手な三者が最愛の人と過ごした濃密な時間の、写真と文章による記録。しかし単なる記録にとどまらない、読み手に自身の家族関係や生と死の意味を再考させる、モノトーンの絵巻物であるともいえます。ひとつの家族の濃密な時間を書物として封緘し、読者へ届けることの喜びを感じております。 なお、刊行予定時期に重なるように、新型コロナウイルスの感染拡大が全国に波及し、出版にともなうさまざまな企画を取り止めるに至りましたことを併せて記しておきます。 以下は、一連のイベント中止に際しての著者サイドからのステートメントです。エディション・エフも名を連ねてコメントを出しました。 ********************************* 【ご案内】 新型コロナウィルス感染拡大により、「揺れて歩く」上梓に関連する以下のイベントを中止または延期とさせていただきます。 ①4月14日 タカダワタリズム2020+出版披露の会@イパネマを中止に ②4月18日〜21日 清水哲男写真展「揺れて歩く」@スペースMuを状況改善までの延期に ③4月18日 金森幸介ライブ@スペースMuを中止に ④4月19日 大阪の仲間たちライブ@スペースMuを中止に それぞれいたします。 この件に関して清水哲男とエディション・エフ、「揺れて歩く」出版応援団事務局は、それぞれ以下のコメントを発表しました。 ============ 清水哲男の出版と写真展等の活動を 応援してくださるみなさまへ ============ 新型コロナウィルス感染拡大下のぼくの活動について 今この国では日に日に新型コロナウィルスの感染が拡大し、鹿児島でも感染者が確認されました。その一方で、メディアを通じて流れてくる情報をどこまで信じていいのかもわかりません。その結果、ぼくは東京や鹿児島、果てはこの国の中で起こりつつあることをどう受け止めていいのかわからないというのが正直な気持ちです。多くの人が、混沌の中で目に見えない恐怖に対する不安に身を縮めて、それでも生きなきゃと仕事と暮らしに向き合っているのだと思います。 そんな中、大勢の皆さんのご支援をいただき、ぼくの新刊「揺れて歩く」が刊行されます。そうしてその普及にあわせて、みんなで「生きること」を真ん中において、様々な議論を深め考えるプロジェクトを進める取り組みがはじまろうとしています。その中核のひとつとしていくつかのイベントを考えていました。そこに新型コロナウィルス感染拡大という状況が重なりました。 国は感染拡大防止策として不要不急の外出自粛を求め、専門家会議は密閉空間、密集場所、密接場所の「三密」を避けるようにとの提言をしています。しかし、鹿児島ではいまだ不要不急の外出の自粛を求められることはありません。当初ぼくは、新型コロナウィルスに対する闘いは、自分自身で徹底した感染防止策を実行した上で、ルーティンを淡々と続けることだと考えていました。すべてを自粛するのではなく、たとえば客足が落ちて困っているお店を順繰り回り飲み続けたり、集会や、イベント、ライブにも顔を出したり、公共交通機関もタクシーも普通に使ったりと。でないと、新型コロナウィルスに負けてしまうし、無責任で不誠実な国、厚生労働省をはじめとする行政システムの言いなりになってしまうことになる。それはぼくがこれまでカウンターカルチャーという周辺分野で生きてきたということにも関わることでした。 確かに現状起こりつつある検査体制の矛盾、予想される医師、病床数の不足、保健所機能の脆弱性などは、従来の政策の行き着くところとして推測されていたことで、それが新型コロナウィルスによって暴かれた側面はあると思います。そのことをおいて、ぼくたちに自粛を求め、果てに商品券をばら撒き、無利子とはいえ返さなければならない融資でお茶を濁し経済対策だと豪語する政府・行政は厳しく批判されなければならないと思います。 しかし今、ほんとうの敵は政府・行政ではありません。真の敵は新型コロナウィルスなのです。この敵を封じ込めるために、打ち勝つために、ぼく自身ができることを考えてみました。その結果、新刊上梓にあわせて予定していたいくつかのイベントを延期または中止しよう、あるいは実施の方法を変えようと思います。 ひとつは4月14日に予定していた鹿児島市東千石町イパネマでのタカダワタリズムと新刊披露の会を中止に、さらに4月18日から21日までの大阪市桃谷スペースMuでの写真展「揺れて歩く」と関連するライブを状況が落ち着くまでの延期にしたいと考えています。また、新刊披露の会は、SNSを活用した形での開催を目指します。 政府・行政に対抗する、批判することだけを目的にイベントを開催することで、感染のリスクをつくり出し、もし感染源となる場所をつくり出してしまうなら、それこそが非常事態宣言という制限と強制の社会を生み出す口実になるばかりか、真の敵新型コロナウィルスを利することになります。それだけはなんとしても避けたいと思います。 そもそもぼくは、生きて死ぬことをもっと自分の頭で考えようよという意味を込めて「揺れて歩く」を書きました。今がまさにその時だと思っています。そうして考えた結果、このような結論となりました。 しかし、どのイベントも遠来していただくゲストや、会場を提供していただく方の事情もあります。関わっていただく大勢の方の事情も含めて考えた苦渋の決断だとご理解ください。 みなさん、なにが大切か、なにをなすべきか、どう生きるか、そんなことをじっくり考えて行動しましょう。そうして新型コロナウィルスに打ち勝った時、あらためて集い楽しい時間を共有しましょう! 清水哲男事務所 清水哲男 ===== 皆さんとのつながりを信じて 新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、清水さんとじっくり対話を重ね、今回の決断にいたりました。いま社会のあらゆるつながりが試されています。私は、清水さんと、清水さんを応援するすべての皆さんとのつながりを信じて、今回のイベント延期を共に決断させていただきました。皆様、ご理解いただけますと幸いです。 「揺れて歩く」出版応援団事務局長 永山由高 ===== あなたの愛する人の時間のために、今は家に留まりましょう 新型コロナウイルスなどというものの到来は、飽くなき環境破壊を続ける人間の傲慢のひとつの帰結でしょう。私たちは、いきすぎた開発、いきすぎた実験、いきすぎた生産、果てはいきすぎた殺戮を繰り返しては自然界から大きなしっぺ返しを食らう、学習しない生き物です。とうとう目には見えないウイルスに足元をすくわれ、瀕死の状態です。とはいえ、それでも、長い時間をかけてこのウイルスを克服する日が訪れるに違いありません。ただし、そのあいだにはきっと大きな大きな幾万の犠牲を払わなければならないでしょう。幾千万もの人々が、大切な存在を突然奪われる悲しみと対峙しなければならないのです。 エディション・エフの新刊、清水哲男著『揺れて歩く ある夫婦の一六六日』は、余命宣告を受けた父と寄り添う母の様子を撮影し続けた息子による記録です。約五か月半といえば、ひとつの家族の長い時間の中のほんのひとときに過ぎませんが、「いのちの期限」を切られた三者が互いにその生きざまを見つめ認め合う様子が凝縮されており、モノクロの写真と文章から伝わります。 本書の刊行に合わせて写真展、また著者を囲んでのトークイベント等が企画されていましたが、当面、それらいっさいが中止または延期されることになりました。ですが本書は予定どおり刊行されます。ぜひ、書籍を手にしてお読みいただきたいと切に願います。 人は、いつか必ず死にます。そして、思いどおりには死ねないものです。だからせめて、準備の時間がほしいのです。突然足元をすくわれて倒され、苦しめられて死にたくなんか、ありません。あなた自身と、あなたの愛する人の時間のために、今は家に留まりましょう。本屋さんにだけ、出かけてください。『揺れて歩く ある夫婦の一六六日』を買うために。 エディション・エフ代表 岡本千津 ************************************ 【著者】清水哲男(しみず・てつお) 1954年京都市生まれ。同志社大学文学部哲学及び倫理学科専攻卒業。 卒業後、国内はもとより世界各地を放浪。1980年頃より執筆活動をはじめる。 常に野に在り、市井の人々の暮らし、労働の現場に入って日常をともにすることで得た実体験を頼りに思考し、書き続けている。2000年頃より表現の手法として写真撮影をはじめる。2014年より鹿児島、大阪、京都で写真展を開催する。1997年より鹿児島市在住。 『少年ジェットたちの路地』(1994年、風媒社)、『種子島へ』(2000年、再海社)、『死亡退院』(2004年、南日本新聞社)、『月がとっても青いから』(2012年、中央アート出版)など著書多数。